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東京高等裁判所 昭和26年(う)5281号 判決

控訴人 検察官事務取扱検事 石原定美

被告人 高橋澄子

検察官 入戸野行雄関与

主文

原判決を破棄する。

本件を前橋簡易裁判所に差戻す。

当審に於ける訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

検察官事務取扱検事石原定美の控訴趣意並びに弁護人楠木計夫の答弁要旨は各同人作成名義の控訴趣意書並びに答弁書と題する末尾添附の各書面記載の通りである。これに対し当裁判所は左の通り判断する。

検察官の控訴趣意について。

自白又は有罪の自認の補強証拠はひろく自白又は有罪の自認が真実であることを裏づけする証拠をいうのである。従つて情況証拠例えば被告人の生活の情況のような動機を示す証拠も時としては、所謂補強証拠となりうる。しかし、これは被告人の供述であつてはならぬ。それは自白以外の供述であつても、これを補強証拠とすることは自白や有罪の承認に補強証拠を要求する法の精神に反する。本件において被告人の情況に関する証拠は、被告人自身の供述であつて、他の証拠によつて証明された事実ではない。甲第三乃至五号証によれば、被告人は昭和二十五年一月十九日頃所持していた焼酎の量と日時、場所の外これを現認されて差押えられ、その后廃棄処分に付された事実を認定することができるに止まる。右事実から推論して前にも焼酎を所持したことを推定せしむる証拠とはなるが進んでこれを他に販売したという事実の証拠とまではならない。前にも焼酎を所持していたというだけの証拠は本件のような酒類の不法販売の犯罪事実の補強証拠としては不充分である。右販売事実を推認させるには、被告人において前に所持していた焼酎をもはや所持しておらないという事実が確定して、はじめて、販売したという事実を推認することができるのである。しかるに本件では、そこまでの証拠はない。故に所論は相当でない。しかし被告人の起訴状記載の犯行頃の生活情況や、被告人は差押えられた焼酎以外には当時焼酎を所持していなかつた事実について被告人の供述以外の証拠を求め、又は川崎駅前の大山某という者について、被告人に焼酎を数回売渡した事実があるかどうかを取調べ、補強証拠を求めることは必ずしも不可能ではない。検事において、その立証を盡くさないときはその立証を促がし職権により証拠調をなすべきである。これは実体的真実発見主義を本旨とする刑事訴訟法の精神の要請である。原審はこの点において審理不盡の違法があつて右違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、本件控訴は結局理由があつて原判決は破棄を免かれない。

よつて刑訴法第三九七条、第四〇〇条に則り主文の通り判決する。

(裁判長判事 吉田常次郎 判事 石井文治 判事 鈴木勇)

検察官の控訴趣意

原判決は、法廷の除外事由がないのに政府の免許を受けないで勢多郡桂萱村大字幸塚一七三番地の自宅に於て源さんという五十二、三の男に一、昭和二十三年十二月下旬頃焼酎三升を千五十円で二、昭和二十四年一月七日頃焼酎三升を千五十円で三、同月九日頃焼酎五升を千七百五十円で夫々販売し以て酒類の販売業を為したものである。という検事の公訴事実に対し被告人の自白があるとしても之を補強とするに足る証拠がないとして無罪の言渡を為したがひつきよう補強証拠に関する法の解釈を誤りひいて事実誤認の判決と言わなければならぬ。即ち

一、原審にあらわれた証拠によると

(一)公判廷に於て(第一回公判調書)(1) 「暮しを立てる為に売つた事は間違いありませんが金をとつたのではなく近所の農家から米を買つてそれを闇売りに川崎方面に行きました。然しその川崎の密造部落では米は買うがその代金の代りに焼酎を持つて行つて呉れと言われたのでそれを米の代金の代りに持つて来てその焼酎を私が米を買つた人にやりましたので金の授受はありません」(記録第十一丁)

(2) 問、川崎の方に何時頃から 答、二十三年の十一月の月初め酒をはじめて持つて来た時からです。問、米と酒との交換の割合は 答、焼酎一升三百円位で米の方は一升いくらだつたかはつきり記憶ありません。問、源さんに売つたとあるがこれはどちらの方が欲しいと言い出したか 答、源さんの方が持つて来たらどうかと言うので私は焼酎を持つて来ました(記録第十五丁)と供述し

(二)公判廷外に於て (1) 「私はこの大山の店へ米を持つて行き米を売つて焼酎を買つて来て売つたのであります、昭和二十三年十二月下旬焼酎三升を一升三百円の割で買い私の家へ持つて来て私の庭へ米を売りに来る人に一升三百五十円で売りました、その時は芳賀村小坂子の源さんという五十二、三才の百姓ブローカーをしている人に売つたと思ひます、昭和二十四年一月七日頃には密造の焼酎を前同様大山から一升三百円の割合で買受け私の家でやはり源さんに一升三百五十円で買つて参り五升程私の家で源さんに一升三百五十円で売りました」(記録第三十五丁第三十六丁)旨の検察事務官に対する供述調書

(2) 警察署長に対する上申書 「一月七日の日三升を一升三百八十円の割合で一千百四十円で買い受け之を一升四百五十円の割合で千三百五十円にて知り合の人に前橋駅にて売りました、一月八、九日の二日、前と同じ割合にて買いましたのを六升前記の割合で売りました」(記録第二十七丁)とある通り各自白の内容に於ては日時数量方法等に少異は存するが何れも公訴事実に符合する自白をしていると謂わなければならない。

二、原審判決は右自白以外の証拠として甲第三、四、五号証のみをとり上げながら本件控訴事実認定の補強証拠とは到底なし難いと排斥しているが之は以下説明の通り補強証拠に対する理解の不足に出たものであり更に他に存する情況証拠を故意か過失により見落したものと謂わなければならぬ。

抑々憲法並びに刑事訴訟法が有罪判決を言渡すには被告人の自白以外に尚之を補強する証拠が必要であるとする所以のものは

(1) 自白だけで有罪の認定をなし得るとするも搜査官憲が自白に頼る結果被告人或は被疑者の人権がじゆうりんされる虞があることであり

(2) 又自白だけで有罪の認定をする架空の事実が認定され誤判を招く虞があるからである。

勿論以上二つのことは一応分けて考えられるが実質的には密度に関聯しているものでそのいずれか一方だけを偏重することは許されない。

三、立法の趣旨が斯様な点に存するならば補強証拠も事案の性質により決すべきものであつて、必ずしも直接的(原審判決の表現を借りれば条件的因果関係のある証拠)であることは必要でなく間接的のものでもよく又情況証拠であつてもよいと謂わなければならない。

今原審判決でとり上げた証拠について検討してみると

(一)甲第三、四、五号証は原審判決も認定している通り「昭和二十五年一月十九日夜被告人が焼酎五升を所持しているところを前橋駅前において司法巡査に現認され、該物件が差し押えられその後廃棄処分されたという事実の認定資料」となることは謂うまでもない。問題はそれからさきである斯様な資料が本件公訴事実について自白を補強する証拠となるかどうかである。

(二)原審判決は「延いてはそれらの事実と因果的に関聯する事実の補強証拠とはなり得るかも知れぬが、これらの資料のみをもつては本件無免許酒類販売の公訴事実認定の補強証拠とは到底なし難い」というが「因果的に関聯する事実」とは条件関係のある事実という意味であろう。即ち「買つたという事実」「自分で密造したという事実」「販売目的で所持していた事実」等の証拠にはなるが、過去に於て酒類を売つたことがあるという証拠にはならぬ。というのであらう。謂うまでもなく現に所持していたという事実から必然的に過去に於ても「所持し且つ販売したという事実」は出て来ないであらう。

(三)然し案件を具体的に判断すると例え被告人の自白がなくても過去に於て販売したと判断をするのに相当にして充分な蓋然性が存すると謂わなければならぬ。即ち被告人の経済状態がそれである。「被告人は昭和二十年八月の空襲に罹災し夫は同年七月戦死し子供三人を抱えて所謂戦争未亡人として生活苦にあえぎ所謂カツギ屋で渡世していた」ことは前述各調書に自供しているのである。勿論これは被告人の自供のみであるが所謂「自白」でないからこの事実を証拠とすることは何等差支えないと謂わねばならぬ。

(四)以上被告人の経済状態、定職を有しないこと、物証により本件犯行を推定するに充分であると謂わねばならぬ。況んや被告人は捜査官に対してのみならず公判廷に於ても公訴事実に符合する自白をしているのである。捜査の端緒以来第一回公判まで一年近くの月日を経過して居り強要された自白であるなら容易に撤回し得たし経済状態といゝ又現物所持の事実により誤判の虞は全然なく「自白以外に補強証拠を必要とする」という立法の趣旨は完全に充たされているのである。

(五)此の点に関し最高裁判所も

(1) 自白を補強すべき証拠は必ずしも自白にかかる犯罪組成事実の全部にわたつてもれなくこれを裏付けするものでなくとも自白にかかる事実の真実性を補強し得るものであれば足りる(集第二巻一一号一四二七頁)となし

(2) 犯罪事実を認定するに当り自白の外に補強証拠を必要とするというのは自白と補強証拠と相俟つて犯罪構成要件に該当する事実を総体的に認定することができることを必要とする謂いであつて、犯罪構成要件に該当する事実の全部にわたり自白の裏付としての補強証拠を常に必要とする趣旨ではない(集三巻四号四八九頁)と説き

(3) 自白の補強証拠というものは被告人の自白した犯罪が架空のものではなく現実に現われたものであることを証すれば足るのであつてその犯罪が被告人によつて行われたという犯罪と被告人との結びつきをも証するものであることを要するものではない(集三巻八号一三四八頁)と論じている。

四、要するに原審判決は「補強証拠は罪体の全部につき要する」という学説を充分に理解していない為か法の趣旨を不当に逸脱し国民感情からかけはなれた形式的独善的な判決であつて法をもてあそぶものという譏を免れないものであつて破棄されるべきものと確信する。

弁護人の答弁要旨

検察官は控訴趣意書に於て原判決は補強証拠に関する法の解釈を誤りひいて事実誤認の判決だと主張するも原判決は実に具体的事案に即したる最も妥当なる判決と考える。即ち

一、控訴趣意書一、に於て各自白の内容に於て日時数量方法等に少異は存するが何れも公訴事実に符合する自白をしていると主張しているが成る程公判廷に於ける検察事務官に対する供述調書、警察署長に対する被告人の上申書によれば其の主張は一応容れられるやうにも思はれもするが公判廷に於ける供述によつてはしかく簡単に其の主張は認められぬ即ち控訴趣意書の一-(一)-(1) (2) 記載の供述自体から被告人が焼酎を販売したという事実はどうしても吸みとれない。

それは米と焼酎とを物々交換したという以外には解釈出来るものではない且公判廷前においても犯罪事件取調顛末書の供述記載にも同様の趣意が述べられている。此の物々交換の現象は戦時中から終戦後にかけて現われた現象であつて之を売買と考える人は誰もいない筈である。被告人の行為は販売ではないのである。従つて公訴事実に符合する自白が公判廷に於ては勿論であつたとはいへないし公判廷前に於ても同様のことが云われるのではなからうか。

二、仮に検察官主張の如く公訴事実について被告人の自白があつたとしても見よう。此の場合本件を有罪と認定する不利益の証拠は自白のみであるから此の供述の真実性を確めるに足る所謂補強証拠を必要とする。

被告人の供述以前の証拠としては甲第三、四、五号証のみである。然らば「昭和二十五年一月十九日夜被告人が焼酎五升を所持しているところを前橋駅前において司法巡査に現認され――」という事実が本件の補強証拠となるであらうか、断じてならない。検察官も其の控訴趣意書三-(二)に於て謂ふまでもなく現に所持していたという事実から必然的に過去に於ても『所持し且つ販売したという事実は出て来ないであらう」と述べ補強証拠となることを一応否認している。

そこで本件に於て補強証拠となり得る最少限度の証拠は焼酎の取引の相手方の被告人の自白と符合する証言であらう。然し此の証言を得ることは不可能である。従つて本件に於ては補強証拠はないと謂わねばならぬ。

然るに検察官は『被告人は戦争未亡人として生活苦にあえぎ所謂カツギ屋を渡世にしていた』という供述自体は自白ではないから証拠として差支えないと主張しこれを本件の唯一の補強証拠となし有罪を認定しようとしている。論理的飛躍も甚しきものである。かゝる考え方を押し進めて行くと生活苦にあへいでいるものは常に何時も犯人とされる危険にさらされ判決に於て架空の事実が認定され誤判を招く虞は十二分にあるといわなければならぬ。かくては憲法第三十八条第三項及び刑事訴訟法第三百十九条第二項の規定は空文と化することにならう。

三、要するに本件は、犯罪の証明がないものとして無罪の判決を言渡した原審の判決は正当にして検察官の主張は憲法第三十八条第三項並びに刑事訴訟法第三百十九条第二項の規定の趣旨を正解せざるものであつて到底容認出来ないものである。

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